今日で震災から一年が過ぎました。
昨年、私は大阪で仕事をしていましたが、テレビで見る地元の変わりように
何とも言えない気分になりました。
辛いとか、悲しいとか、そんな感情を飛び越えて、ただただ呆気にとられて
しまった。
震災後の出社の際は、発表があったんだけど、頭真っ白で何を発表したら
いいのかわからなかった。
こんなときにこんなところで発表なんかしてる場合じゃないだろって、
何度も何度も思ったけど、交通の麻痺に加えガソリンが手に入らない状況では
地元に戻ることも出来なくて、とにかく連絡だけ取れる環境を作ろうと、とにかく
自分に現状報告してもらって家族みんなへ伝えていた。
あの日味わった無力感は、今も自分の中にある。
何も出来ない一人の人間で、誰も助けることも出来ない
でも腹は減って、眠くもなって、それが非常に情けないことのように
感じた
今日一日の報道関係は全て去年の出来事尽くめになってるけど、
そこに見る人の温かさが人間の本質であってほしいと強く願う
普段感じないことを、震災という出来事が気付かせてくれたとも言えるんだと
思うけど、やっぱり人間は無くさないとわからない馬鹿な生き物なのかもしれないとも
思う
それでも、みんなが文字通り手を取り合い、助け合う姿に、現地から発せられる言葉に、
表情から読み取れる現状に対する辛さとそれでも立ち向かっていこうとする姿勢に
目頭を熱くせずにはいられない
私は被害者なのか?傍観者なのか?
正直言えば傍観者だ
家族が、親戚が、友人が被害にあっても私自身は震災を経験しなかったのだから
それが多分、私にとって一番辛い事実だ
だから、正直に言う
口先の綺麗ごとは嘘である
私は自分が無力だったことが悔しいのである
経験してないから、その話が出来ないことが悔しいのだ
話に入ることが申し訳なく、やっぱ悔しいのだ
私は、自分の感じた無力感を忘れずに生きていかなければいけない
自分の情けなさに目を背けないことが第一歩
情けなさを受け止め、歩きだすのが今年の必達目標
この気持ちを原動力に、何かしらの結果を出すことが、私に出来ることと信じている